ネルヒモのブログ

最近はウマ娘にはまってます。坂スキルを検証中

ニコ生とかネットのコミュニケーションの話

俺が納得いかないシリーズ。この話は前にもしたかもしれない。

 大庭Pっていう、アイドルマスターの動画を作っている人がいました。今は引退してます。
さてさて、大庭Pがいなくなった後、俺は小言を大百科の掲示板に書きました。いなくなったのを良い事にどうでも良い事を突き上げてる人もいました。

 大庭Pはニコ生をやったりもしていました。どちらかと言えば、コミュニケーションが取れる人でしたし、枠や場も用意してました。大庭Pの人柄に何か問題があったかといえば、ないです。

 大百科の掲示板で、大庭Pに悪口を言うな、いなくなった人に当たりが強すぎないかという意見がありました。ここがう~んって感じで会話が噛み合ってないというか。

 そもそも、ニコニコ動画に動画を上げる人と見る人はどういう関係なんでしょうか。色々あると思いますが、ニコ生やツイッターやらをやっている大庭Pとは俺は友達だと思っていました。友達が急に意味も分からず、いなくなったらびっくりするし、何か言いたくなるのは普通だと思います。(どうでもいい、何も興味の湧かない友達なら別ですが)

 自己犠牲がコミュニケーションだと勘違いしている人がいるのではないか、それが今回思った事です。ニコ生でよくみられる光景ではあります。生主を無駄によいしょばかりする人。楽なんですよ、何も考えなくていいから。そして、相手が怒ればこっちに悪い所はだいたいないですからね。ニコ生は考えなしにコメントばかりの人と、気を遣い過ぎの人と両極端なイメージです。

 もう一つ踏まえないといけないのが、コメントでの会話は、勘違いが起きやすいです。隣で話している時に間違った解釈をして、コミュニケーションが取れていない場合、聞き返せばすぐに返答があり誤解が解けます。ニコ生では主に会話とコメントでの会話なので、誤解を生みやすく、相手もキレることもあって。なかなか上手くいかない感じです。
 そもそもの通常の会話が理解度100%とは程遠いところで、それでも十分に成り立っている訳で。その辺を心に留めていないといけないと思います。両方で勝手にコミュニケーションが取れてると勘違いして、両方で勝手に争っても意味がないですから。ただでさえ、上手くコミュニケーションが取れてないのに、コメントでの会話+実際の面識がない人との会話は難しいです。
 相手を立てるのと、相手に盲従するのは違うと思います。俺のスタンスしては、ニコ生やネットで下らない事でキレる人には一応弁解しましょう。それでもだめなら、そいつをきればいいだけです。不用意に下手に出る事は必要はないはずです。こちらも下らない事をいわないように気を付けるのは当然ですが。詰まる所、腫物あつかいしてるってことだよね、変に下手に出るって事は。相手を信用できないってあらわれだと思うんだ。ある意味で自分自身に自信がないことでもある。

 今回は(も?)だいぶ俺の妄想が入ってますが、何かありましたらご意見ください。

(あと、連絡:粘土のアルパカさんは、ぽしゃったと思ってかまいません。色々すいません。)