前にも同じ話をした覚えがあるけど、少し自分の考えをまとめた。
一時期、Vtuber(バーチャルyoutuber)の界隈で「優しい世界」という言葉が独り歩きしていた。意味は解説すればみんな納得の話なのだが、説明する人がある程度の前提があって語られていた。その前提を抜け落ちた形で説明するから、話に齟齬が生じて意味のない言い争いが起きていた。(ように俺は見えた)
優しい世界=理想の世界であるということ。
Vtuberの一つの考え方で、理想の自分になれるというものがある。理想の自分は、可愛い女性だったり、ファンタジー世界のキャラクターだったり、かっこいい男性かもしれない。Vtuber=理想の自分みたいな考え方がある。その考えが基本である人が優しい世界という言葉を使い始めたと思う。
Vtuberが理想の存在で、その界隈、世界も理想的で(優しく)あるべきだ。そして、実際に優しかったと思った。(補正が掛かって見えているかもしれない、それを望んでいるから)
あくまで理想であり、ある程度は共通認識があると思っているわけだ。俺も優しい世界の言いたい事はよく分かった。部外者で界隈に詳しくない人ほど、理解できない理論だ。
なんていうのかな、けものフレンズみたいな世界観というか。
じゃあ、それが正常な世界ですか? 現実的ですか? 何かから目を背けていませんか?
これがyoutubeがお金を稼げる(収益化、スーパーチャットなど)のリアルで生々しい部分を含んでいるのに、矛盾してないか?
否定的な人はそういう潜在意識あったからじゃないかな。(正当にお金を稼ぐ事は良い事だからね。)
揚げ足を取られやすかったのは、前提がそもそも違うから話がかみ合っていない。そういうのもあったんじゃないかと思う。
ー別の話ー
ふぇありすさんが個人Vtuberがある程度で伸びが止まって、新規参入がきつくなってきている話をしていた。これはバブルが終わったんだから、ある程度落ち着くのは仕方ないと思うね。企業勢が強いのも悪い事じゃないし。
ふぇありすさんの「閉じコン」の話は逆で、オタクの金払いのいい人というかそういうのにハマり易い人を、ニッチ層を狙い撃ちしているのがVtuberだと思っている。食い合いが始まるの必然というか。他の層に受けるVtuberは俺たちのなじみ深いVtuberとは別の存在になる。Vtuberである必然性がない人になるので、逆にオタク人気はそんなに出ない存在になりそう。(つまり、Vtuberの意味、良さがない。)
普通のyoutuberでいいよね、そうなっちゃうね。